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「種まきのたとえ」  ルカ8章1〜15節
「しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。
正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」
ルカの福音書8章15節


イスラエル南部のネゲブの砂漠地帯。
 イエスさまは、「種まきのたとえ」を語ることで、豊かな実を結ぶ者となるために、どのような姿勢で、み言葉を聞けば良いのかを教えられました。
 イエスさまの時代、イスラエルでは、種を畑にまくときは、種の入った袋に手を入れて、あたり一面に、おおまかに種がまかれました。ですから、まかれた種は、色々なところに落ちました。一つ目の種は、道端に、二つ目の種は、岩の上に、三つ目の種は、いばらの真ん中に落ちました。そして、最後の種は、良い地に落ちたとあります。
 まかれた種はどうなったのでしょうか。まかれた場所によって、結果が違いました。道ばたにまかれた種は、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまいました。岩の上にまかれた種は、芽を出しましたが、水分がなかったので、枯れてしまいました。いばらの真ん中に落ちた種は、周りのいばらも成長したので、それに、妨害されて、成長が止まってしまいました。最後に、良い地に落ちた種は、「生え出て、百倍の実を結んだ。」とあります。イエスさまは、これらのたとえ話をしながら、「聞く耳のある者は聞きなさい。」と叫ばれました。
 さて、イエスさまは、このたとえ話を群衆に話すことで、何を群衆に伝えようとなさったのでしょうか。イエスさまの弟子たちは、このたとえ話の意味が分からなかったようで、イエスさまに、このたとえがどんな意味かをイエスさまに尋ねました。イエスさまは、弟子たちだけに、このたとえの意味を明らかにされました。
 まず、このたとえ話の種とは、何かを教えられました。それは、「神のことば」(11節)です。それでは、道ばたに落ちるとは、どういうことでしょうか。道ばたとは、人に踏みつけられて、固くなっている土地です。つまり、道ばたとは、固い心、頑固で、かたくなな心を示しています。このような心で神の言葉を聞いても、神の言葉はその人の心に入りません。神の言葉を聞きますが、信仰には至りません。すると、道ばたに落ちた種を、鳥がその種を見つけてくわえていってしまうように、悪魔が、みことばを持ち去ってしまうのです。
 岩の上に落ちるとは、どういうことでしょうか。岩の上には、薄らと土があり、水分もありますので、芽を出すこともあります。しかし、良い地のように、根をはることができないので、しばらくすると枯れてしまうのです。つまり、み言葉を聞き、喜んで信じるのですが、根がないために、試練、苦しみ、人間関係などにつまずくと、すぐに信仰を捨ててしまう人です。
 次に、いばらの真ん中に落ちるとは、どういうことでしょうか。いばらの真ん中にも、土があります。ですから、芽を出し、しばらくは成長します。ところが、周りにあるいばらも成長しますので、いばらに囲まれて、太陽の光があたらなくなり、風通しも悪くなり、ひょろひょろとしばらく、成長するのですが、実を結ぶまでには至りません。これは、み言葉を聞き、信じるのですが、やがて世の中のことが心配になり、金儲けに目がくらんだり、生活のためにといって忙しく働くようになり、何とか信仰生活を続けている人です。
 最後に、良い地に落ちた種とは、どのような人でしょうか。良い地とは、どのような土地でしょうか。良く耕された土地です。雑草などが生えておらず、風通しがよく、虫がつかず、太陽の光も良く当たり、水も豊富です。
 そのような心の人は、神の言葉を聞いて信じます。ただ信じるだけではなく、深く理解します。救われた時だけではなく、救われてからもずっと一生懸命にみ言葉を読むでしょう。集会にも励んで出席します。自分の足りなさや弱さを知っていますし、もっと成長したいという思いを持っていますから、み言葉を学び、み言葉に従って生活します。このような人は、どうなるでしょうか。豊かな実を結ぶことができるのです。
 さて、私たちは、このイエスさまが語られたたとえ話から、何を学ぶことができるでしょうか。まず、第一のことは、同じみ言葉が語られても、その心の状態によって、結果が異なるということです。このたとえ話の種とは、神の言葉です。同じ神の言葉が語られても、聞く人の心の状態によって、その結果は、全く異なるということです。
 第二のことは、イエスさまは、群衆にたとえ話を語られた時に、叫んで言われた言葉があります。それは「聞く耳のある者は聞きなさい。」という言葉です。これは、私たちにチャレンジを与える、イエスさまの言葉ではないでしょうか。
 イエスさまは、すべての人の心をご存知です。そして、聞く耳のない者には、いくら語っても難しいということを知っておられたのでしょう。私たちは、しっかりと聞く耳をもって、イエスさまの語られる言葉に耳を傾けていきたい。聖書のみ言葉を、自分に語られた言葉として、しっかりと受け止めていきたいと思います。
 最後に、イエスさまの願いは、私たちの心が、良い地となり、良い地にまかれた種が、百倍の実を結んだように、私たちにも豊かな実を結ぶ者になってほしいということです。これが、イエスさまの私たちに対する願いであるということです。
 それでは、私たちが、豊かな実を結ぶためには、どうしたら良いのでしょうか。「正しい、良い心でみことばを聞く」(15節)ということです。次に、「それをしっかりと守り」とあります。さらに、「よく耐える」ということです。
 野菜や作物を育てて、実を結ばせるためには、何が必要でしょうか。まず、畑を耕すことです。柔らかく、適度な養分、水分が必要です。しかし、それだけでは、十分ではありません。豊かな実を実らせるためには、良い状態を保つ必要があります。雑草をひいたり、虫を取り除いたり、日当たりや水にも気を使う必要があります。これと同じように、私たちの心の状態を良い状態に保つためには手入れが必要です。日々のデボーションが必要です。そして、それを習慣にする必要があります。習慣にするためには、しばらくの間は忍耐が必要です。しかし、習慣になりますと、良い心の状態を保ち続けることができるのです。ぜひ、皆さんも、1日15分、朝の時間をディボーションのために用いて、習慣にされることをお勧めします。
 皆さんの心は、いかがでしょうか。心を良い状態に保ち、耐えて習慣にして、豊かな実を結ぶ者にさせていただきたい。そのように願わされます。
    (9月12日 礼拝説教要旨)