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「招いて下さるイエス」 ヨハネの福音書6章35〜40節
「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」ヨハネの福音書6章37節


「パンジー」春が近づき、少しずつ大きく咲くようになりました。
 ここに、素晴らしいイエス様の約束の言葉があります。「・・・そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てない。」
 この御言葉の「わたしのところ」とは、誰のところでしょうか。言うまでもありませんが、イエス・キリストのところです。イエス様のところに来る者を、イエス様は、決して捨てない。そのように約束して下さっているのです。
 この約束の素晴らしさには、いくつかのことが挙げられます。その第一は、この約束には、条件がないということです。この世の中で問われるような、人種、生まれ、学歴とか資格、働き、経験とか、年齢や性別、そういったものは、いっさい問われていないという事です。
 この約束の素晴らしさの第二は、イエス様は、「決して」捨てないと約束して下さっていることです。「決して」なのです。状況に左右されないのです。私たちの日々の歩みの中では、「決して」とか、「絶対だ」ということはありません。しかし、イエス様は、このところで、決して捨てることはないと約束して下さっているのです。
 私たちが、その招きに応じて、イエス様のところへ行くならば、「わたしは決して捨てない。」と約束して下さるのです。どのような者であっても、イエス様のところへ行くならば、大丈夫なのです。
 ただし、唯一の条件があります。それは、イエス様のところへ行くということです。自らの意思と決断をもって、イエス様のもとへ行くならば、イエス様は、決して捨てないと約束して下さるのです。
 さて、イエス様は、「わたしのところに来る者は」と言われていますが、イエス様のところへ行くということは、一体、どういうことなのでしょうか。
 これは物理的なことを、言っているのではありません。実際に、イエス様がいらっしゃるところに行くということではありません。35節をご覧ください。この個所に、「わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」とあります。ここで、「わたしに来る者」という表現が、「わたしを信じる者」と言い換えられています。
 すなわち、イエス様のところに行くとは、イエス様を信じるということなのです。イエス様を信じる者を、イエス様は、決して捨てないと約束して下さっているのです。では、イエス・キリストを信じるということは、どういうことでしょうか。イエス様は、35節において、「わたしがいのちのパンです。」という表現を用いて、イエス・キリストを信じるということが、どういうことであるかを説明しています。
 イエス様を信じるとは、いのちのパンであるイエスさまを食べることです。パンとは、彼らにとってどのようなものでしょうか。第一にパンは、肉体を支える食べ物です。一度食べたら、しばらくは良いというものではありません。毎日毎日、食べ続ける必要のあるものです。
 第二にパンは彼らにとって主食です。わたしたちに日本人にとっては、お米、ごはんです。食事には欠かせないものです。
 第三に、パンは口から体内に入り、吸収され力になります。これはパンにかぎったことではありませんが、食べ物は、見ているだけでは、力になりません。手に取るだけでもダメです。実際に口に入れて、食べることが必要です。食べて初めて栄養となり、力となるのです。
 イエスさまは、「わたしはいのちのパンです。」と言われます。普通のパンが「肉体」を支えるのに対して、イエスさまは、私たちのいのちと霊を、心を支えるパンだと言っておられるのです。
 つまり、いのちのパンであるイエス様を、受け入れること、心に迎えること、イエスさまの言葉である聖書のことばに養われること、これがイエス様を信じることであり、イエス様のところに来ると言うことなのです。
 さて次に、イエスさまは「わたしのところに来る者を決して捨てない。」と約束して下さっていますが、「捨てない」とは具体的にはどういうことなのでしょうか。
 39節に、この世に遣わされた父なる神様のみこころが明らかにされています。ここに父なる神様のみこころとして二つのことが明らかにされています。
 一つは、「わたしがひとりも失うことなく」とあります。失わないとは、滅び失せることがないということです。イエス様を信じた者は、決して滅びることはない。一人として滅び失せることはない。御国から投げ出されることがないのです。天国へ行くことができる。必ず救いの恵みに与ることができるのです。
 もう一つは、「ひとりひとり終わりの日によみがえらせる」とあります。死は誰も避けることはできません。どんなに健康な人でも、だんだんと肉体は衰えていくのです。どんなに美しい人でも、年とともにバランスが崩れていくのです。そして、この地上の生涯を終える時が来るのです。しかし、ここに素晴らしい約束があるのです。「ひとりひとり終わりの日によみがえらせる」とあります。
 ここに、「ひとりひとり」とあります。ある一部の人だけではないのです。「ひとりひとり」なのです。イエス様のところへ行く者、イエス様を信じる者、イエス様を受け入れ、イエス・キリストを心に迎え、イエス様を食べ味わう者はみなであります。そのような者には、死後の復活が約束されているのです。このような恵みをいただくことができるのです。
 イエス・キリストは、私たち一人ひとりに「そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」と語りかけて下さっているのです。時を遅らせることなく、イエス様の招きに応じて、イエス様が与えて下さる素晴しい恵みを、ご自分のものとしていただきたいと思います。
(2月20日 礼拝説教要旨)