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「天の父の養いを信じて」マタイ福音書6章24〜34節
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
    マタイの福音書6章33節   


千両(センリョウ)
 新年、明けましておめでとうございます。年の初めに、どの聖書個所からお話ししようかと、祈り思いめぐらしました。その中で示されましたのが、本日の聖書個所であります。
 このところは、いわゆる山上の説教と言われる所です。イエス・キリストが群衆や弟子たちを前に、ガリラヤ湖のほとりにある小高い丘の上で、語られた説教です。
 この山上の説教は、5章から始まります。5章のはじめの所をご覧いただきますと、「〜の者は幸いです。」という有名な語りかけで、語り始められています。このところで、イエス・キリストは、まず、幸福の条件について述べられ、その後に、幸福の理由を示されています。
 人々は、このイエスさまの教えを聞いて、どのように反応したのでしょうか。多分、人々は、この話の内容に耳をそばだてて、思わず乗り出して、イエスさまの教えを聞いたと思います。なぜならば、彼らは、幸福を求めていたからです。
 皆さんは、いかがでしょうか。幸せになりたい。そのように願っておられるでしょうか。今日から、2012年という新しい年が始まりましたが、幸せは、すべての人の共通の願いだと思います。私たちは、どうすれば幸せになることができるのでしょうか。
 それでは、6章24節以降のところから見て行きたいと思います。この6章24節から始まるイエスさまの教えの中で、繰り返し出てくる言葉があります。それは、「心配」という言葉です。合計しますと7回、出てきます。
 イエスさまは、このところで何を語ろうとされているのかと言いますと、それは、「心配する必要はないですよ。」ということです。「心配」とは、「心を配る」と書きます。つまり、心が色々な方面に分かれて、混乱しているということです。
 皆さんも、少なからず、心配事があると思います。人々は色々なことに心配する者だと思います。特に、年末年始は、普段と違って、色々なことがあります。色々な人と会いますので、普段以上に、気を遣って心配事を抱えている人がいるかもしれません。
 そのような、悩み心配することの多い私たちにイエスさまは、どのように生きればよいのか、また、どうすれば心配事から解放されて、幸せに生きることができるのかを教えて下さっています。  まず、第一のことは、天の父の養いを信じなさい。しっかり信じなさい。信仰を熱くしなさいということです。
 イエスさまは、そのことを教えるために、たとえを用いて教えておられます。イエスさまは、「空の鳥を見なさい。」「野のゆりを見なさい。」と言われます。空の鳥は、種をまいたり、刈り入れをしたり、倉に納めることもしません。どうしてでしょうか。天の父なる神様が、空の鳥を養っていて下さるからです。
 野のゆりは、働いたり、紡いだりしません。栄華を極めたソロモン、当時の最高のものを手にしていたソロモン王様でさえ、この花の一つより着飾ることはできないのです。短いいのちの野のゆりであっても、天の父なる神様が、ソロモン以上に着飾って下さっているのです。
 そして、イエスさまは、私たち人間に対して、あなたたちは、空の鳥、野のゆり、以上のものではありませんか。空の鳥、野のゆりでさえ、良くして下さる天の神様が私たちによくして下さらないわけがないでしょう。と教えて下さったのです。
 イエスさまが、幸せになるために教えられた第二のことは、6章33節、本日の暗唱聖句個所として選んだところです。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」と命じておられます。これは、どういう意味でしょうか。「神の国」とは、「神の支配」「神の御心」ということです。「神の義」とは、神の正しさということです。つまり、「神様を第一として生きなさい。」「神の言葉である聖書の教えを第一として生きなさい。」ということです。
 そのような生き方を私たちがしていくならば、どういうことが起こるのでしょうか。その続く件にあります。「そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」とあります。「これらのもの」とは何でしょうか。私たちが、生活していく上で、必要なものです。6章25節にあります食べ物、飲む物、着る物、そういった私たちが生きていく上で必要な物は、天の父が与えて下さると約束して下さっているのです。
 さて、幸せな者となるためにイエスさまが教えられた第三のことは、それは、6章34節にあります。「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」ということです。このところで、イエスさまは、「あすのための心配は無用です。」と言われます。どうして、あすのことを心配することは、無用なのでしょうか。イエスさまは、「明日のことは明日考えればよい。」と言われます。また、「労苦はその日その日に、十分ある。」と言われます。
 つまり、イエスさまは、今日を、精一杯生きることが大切なのだ。今日を精一杯生きることが、明日に向けての一番良い備えなのだと言われているのです。確かに、私たちは、今日、しなければいけないことをしないで悩んでいる。心配しているということがあるのではないかと思います。
 今日出来ることをして、できないことはどうしたら良いのか。と心配される方がおられるかもしれません。しかし、私たちは心配する必要はありません。それは、天の父がおられるからです。空の鳥より、野のゆりよりも私たちは、素晴らしい特別な存在です。今日出来ることをして、出来ないことは、天の父にお委ねすれば良いのです。
 私たちの信じる神様は、どのようなお方でしょうか。洗礼式の誓約文や礼拝で告白する使徒信条にありますように、天地の造り主、生ける真の神、全能なお方です。私たちは、神様をそのようなお方として信じているのです。私たちは、その誓約、使徒信条を、口先だけで告白する者ではなく、その告白通りに信じて、疑うことなく、この一年間、歩んでいきたいと思います。そして、主にあって、幸せな一年とさせていただきたいと思います。
                  (2012年1月1日 元旦礼拝説教要旨)