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「ペンテコステの恵み」  使徒の働き2章1〜21節
「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」 ヨエル書2章28節   


ラベンダー
 今日は、ペンテコステ礼拝です。ペンテコステとは、どういう日でしょうか。ペンテコステとは、聖霊がこの地上に降られた記念日です。  私たちの信じる神は、日本同盟基督教団の信仰告白文にありますように、父・子・聖霊という三つの位格を持ちつつ、本質においては、一つのお方です。そして、ペンテコステとは、神の第三位格である聖霊がこの世に降られた記念の日であります。
 さて、本日の聖書箇所には、聖霊が降られた日の出来事が書いてあります。聖霊は、どのように降られたのでしょうか。いつの間にか、誰も知らない内にということではなく、確かに降られたということが分かるように、特別なしるしの中で降られました。
 このところに、3つのしるしが書かれています。まず、2節にあります。「天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり」とあります。風が吹いて来るような響きが起こったのです。聖書の中では、風は聖霊を表わし、聖霊の臨在のしるしとして用いられています。
 次に、3節に「炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。」とあります。炎も主の臨在のしるしです。イスラエルの民は、約束の地へ向かう時、砂漠の中を歩きましたが、神様は、昼は雲の柱、夜は火の柱で導かれました。火は、主の臨在のしるしであります。
 第三に、8節「私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。」とあります。弟子たちは、ガリラヤ出身の者でしたが、色々な国の言葉で話し始めたというのです。誰でも、特に大勢の人に、確かに聖霊が降られた事が分かるしるしを伴って降られたのです。
 さて、次に、本日は、「ペンテコステの恵み」と説教題にありますが、どうしてぺンテコステが、聖霊が降られたということが、恵みなのかということをお話ししたいと思います。
 まず、ペンテコステの第一の恵み、それは、聖霊の働きによって、人は、罪の自覚が与えられるということです。ヨハネの福音書16章7、8節に、「・・・わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世に誤りを認めさせます。」とあります。
 信仰の出発点は、どこにあるのでしょうか。それは、罪の自覚です。罪が分からなければ、イエスさまの十字架を、自分のこととして受け止めることはできません。イエスさまが十字架にかかられたことを、歴史的な事実として、信じることはできるかもしれませんが、自分のこととして、自分の罪のために十字架にかかって下さったのだと受け止めることはできません。しかし、聖霊なる神様が、私たちの心に働くと、罪の自覚が与えられるのです。
 第二のペンテコステの恵みは、何でしょうか。第一コリント12章3節に、「ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、『イエスはのろわれよ』と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことはできません。」とあります。
 このところにありますように、聖霊の働きによって、人は、罪が示されるだけではなくて、イエス・キリストを主と信じる信仰に導かれるということです。
 昨年は、6名の方が、信仰へと導かれました。これは、聖霊の働きです。聖霊なる神様が、礼拝や家庭集会におけるメッセージを用いて下さったのです。一人ひとりの心に働いて下さって、罪を示して下さり、イエスさまを信じる信仰へと導いて下さったのです。
 第三のペンテコステの恵みは、何でしょうか。ガラテヤ人への手紙5章22節以降には、御霊の実が記されています。私たちは御霊の助けによって、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制という実を結ぶことができるのです。つまり、神の子どもとして、クリスチャンとして、成長を与えて下さるのが、聖霊です。
 生まれながらの人間には、肉があります。先ほどお読みしたガラテヤ人への手紙、5章19節以降には、肉の行いについて明らかにされています。この中にある「敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ」というものは、交わりを破壊するものであり、周囲の人だけでなく、自分自身をも不幸にします。しかし、聖霊が働くことによって、聖霊に導かれることによって、そういった交わりを破壊するような肉の思いや行いから守られ、御霊の実を結ぶ者へと変えられていくのです。
 第四のペンテコステの恵み、聖霊の働きは何でしょうか。聖霊の助けによって、私たちは力をいただくことができます。力をいただいて、父の願われる働きをすることができるのです。
 使徒の働き1章8節には、「しかし、聖霊があなたがたに臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」とあります。初代教会の中心的働きをした人に、ペテロがいますが、彼は、まさに聖霊の力をいただいて、臆病者から、勇気をもって、大胆に福音を語る者に変えられていきました。
 ペンテコステの恵み、聖霊の働きの重要さを知りたいならば、聖霊がおられないことを考えてみれば分かるのではないでしょうか。父と子だけだとしたら、どうでしょうか。
 聖霊は、助け主として私たちのところに来られました。何を助けて下さるのでしょうか。私たちの心に働いて罪を示して下さり、イエス・キリストを信じる信仰へと導いて下さり、御霊の実を結ぶ者、クリスチャンとしての成長を与えて下さるお方であり、主を証する力を与えて下さるお方です。
 私たちは、誰に、助けを求めて生きているのでしょうか。家族でしょうか。友人でしょうか。私たちは、この世の何かではなく、助け主として来られたご聖霊の助けをいただきながら、神様の子どもとして、主の使命に生きていきたい。そのように願わされます。
                     (2012年5月27日 礼拝説教要旨)