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「ストレスに対処する秘訣」  ルカ4章42〜44節
「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。」 ガラテヤ人への手紙1章10節   


ユリ(カサブランカ)
 現代社会は、ストレスの多い社会だと言われています。皆さんも、多かれ少なかれ、色々なストレスを感じながら生きておられることと思います。
 さて、本日は、イエスさまは、様々なストレスに対して、どのように対処されていたのかということをお話ししたいと思います。
 イエスさまは、神様でありますから、全くストレスを感じなかったというと、そうではありません。イエスさまは、まことの神であり、まことの人です。イエスさまの公の生涯は、3年半と短い間でしたが、その中身は、本当に忙しい毎日でした。しかし、このように忙しい中にありましたが、イエスさまは、心の平安を保っておられたのです。忙しさの中で、イライラしたりすることはありませんでした。イエスさまは、どのように心の平安を保ち、ストレスに対処されていったのでしょうか。
 まず、第一の秘訣は何でしょうか。それは、自分が何者であるかを知るということです。イエスさまは、自分が、どういう者であるのかということを知っておられました。福音書を見て行きますと、至る所に、「わたしは○○です。」というイエスさまのことばを発見することができます。「わたしは世の光です。」(ヨハネ8:12)、「わたしは門です。」(10:9)、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(10:11)、「わたしは神の子である」(10:36)と言っておられます。イエスさまは、自分は、どのような者なのか、どういう存在で、何をすべきかということを知っていました。
 では、反対に、私たちがストレスを感じる時と言うのは、どういう時でしょうか。「あなたはこういう人ですね」と勝手に決めつけられたり、「こういう人になりなさい。」と強制されたりするとストレスになると思います。
 しかし、自分がどういうタイプの人間かということを、自分自身の内に、確かにしていないと、多くの場合、他人の意見に振り回されることになるのです。他人の意見に左右されたり、本当の自分でない「だれか」を演じるようになるのです。これは知らないうちに、大きなストレスになります。
 私たちは、どのような者、存在でしょうか。まず、私たちは、神に造られた者だということです。偶然にではなくて、目的をもって造られた存在です。目的を持って造られたということは、神様は、私たちの人生に計画を持っておられるということです。そして、計画を持って造られたということは、一人ひとり、他の人と取って代わることが出来ない、かけがえのない存在であり、私たちの存在には、大きな意味があるということです。ストレスに対処するためには、まず、自分が何者であるのかを知らなくてはなりません。
 第二の秘訣は何でしょうか。それは、自分が、誰を喜ばせようとして生きているのかを明確にすることです。
 イエスさまは、誰を喜ばせようとしておられたのでしょうか。イエスさまは、自分の望むことをしませんでした。イエスさまは、父なる神様に喜ばれるかを考えて行動したのです。  皆さんは、いかがでしょうか。自分の周りにいるすべての人に喜ばれようと思って生きていることはないでしょうか。全ての人に喜ばれようと思って生きることは、とてもストレスです。なぜならば、それは不可能なことだからです。
 私たちが覚えなければならないことは、イエスさまでさえ、すべての人を喜ばせようとしておられないということです。イエスさまでさえできないことに挑戦することは、実に愚かというほかありません。全ての人を喜ばせると言うことは、不可能なことであり、それをしようとするならば、ストレスとなります。私たちは、自分で、誰を喜ばせようとして生きるのか選ばなければならないのです。
 イエスさまがそうであったように、父なる神様を喜ばせることに集中するならば、批判や対立や衝突といったストレスからも守られるのではないでしょうか。
 第三の秘訣は何でしょうか。それは、何を成し遂げたいと願っているのかを、自分自身で確かにするということです。父なる神様を喜ばせると言うことの中で、具体的に、何を成し遂げたいのかということを知るということです。
 私たちは何を成し遂げたいのか、そのことを明確にしていないならば、そのための優先順位を決めないならば、他の人の意見に惑わされることになります。
 イエスさまは、何を成し遂げたいと願っておられたのでしょうか。イエスさまは、人々の病気を治したり、悪霊を追い出したりしています。しかし、イエスさまが一番成し遂げたいと願っておられることは、そういうことではありませんでした。
 それは、43節に、「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。」と言っておられます。そして、続く件には、「わたしは、そのために遣わされたのです。」と言っておられることからも分かります。
 群衆たちの願いは、イエスさまを引きとめる。自分たちの必要に応えてくれることを求めました。その必要に答えるならば、彼らは、喜んだと思います。しかし、イエスさまは、群衆の願いを退けました。イエスさまがなされたことは、まず、彼ら群衆から離れて、「寂しい所に出て行かれた。」ということ、そして、もう一つのことは、ガリラヤの町を去って、ユダヤに行き、ユダヤの諸会堂で、神の国の福音を宣べ伝えた。ということです。イエスさまは、神から遣わされた者として、神様の御心を行い、神様の国を宣べ伝えることに優先順位を明確にして、働かれたのです。
 イエスさまは、ストレスの対処法を心得ていました。私たちも、イエスさまのように、自分が何者であるかを知り、誰を喜ばせようとしているのかを知り、何を、成し遂げようとしているのかを知ることを通して、心の平安を持ち、ストレスに対処していきたいと思います。
                                            (2012年6月24日 礼拝説教要旨)