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「コリントにある神の教会」   Tコリント1章1〜9節
「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。
ハデスの門もそれには打ち勝てません。」 マタイの福音書16章18節   


あさがお
 コリントの教会は、パウロの熱心な伝道によって生まれた教会でした。しかし、コリント教会は、色々な問題を抱えている教会でありました。
 まず、第一の問題は、教会に一致がなかったということです。教会内には、「私はパウロにつく」「私はアポロにつく」「私はケパに」「私はキリストにつく」とそれぞれが自分の考えを主張する者がいたのです。つまり、同じ教会に集う者の中に、派閥があったということです。
 問題は、それだけではありませんでした。コリント教会の中には、クリスチャンでありながら不品行を行う者がいました。コリントの町の抱える道徳的退廃の影響が、教会内にも及んでいたのでした。
 しかし、パウロは、このコリント教会を、何と神の教会と呼んでいます。「神の教会」とは、「神様の教会」「神様の所有する教会」ということです。様々な問題を抱えていても、コリント教会は、神の教会なのです。  このコリント教会は、パウロの熱心な伝道によって生まれた教会です。だからといってパウロの教会ではありません。教会は、決して牧師の教会ではありません。また、信徒の教会でもありません。長くその教会で信徒として仕えてきたから、その人には特別な発言権があるかというと、そういうことはありません。
 ところが、コリント教会には、そのような考え方があったようです。パウロを、アポロを、ケパ(ペテロ)を支持する者たちがいて、神中心ではなくて、パウロの意見を重要視する者、アポロやケパの意見を重要視する者、そういう者たちが、教会の中に存在していたということです。パウロは、そういった考え方の間違いを教えようとして、あえてコリント教会は、神の教会であるということをこの所で、明言しているのです。
 それでは次に、この神の教会の構成員とは、どのような人たちでしょうか。2節に、「聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々」とあります。その構成員とは、「聖徒」と書かれてあります。聖徒とは、聖い信徒ということです。聖徒などと言われますと、私のような者がと考えて、恐縮してしまう人が多いのではないでしょうか。しかし、コリント教会のクリスチャンも私たちも同じ聖徒なのです。
 私たちは、実際に、自分の正直な姿を見るならば、コリント教会のクリスチャンのように、様々な問題を抱えている一人ひとりだと思います。しかし、神様は、そんな私たちを選んで下さり、召して下さり、聖徒として下さったのです。このように、選ばれるにふさわしくない者が選ばれた。聖徒として、神によって選ばれた者たちの集まり、それが教会、神の教会なのです。ですから、私たちは、教会に問題があってはならないとか、教会に問題があるなら教会とは言えない。などと言うことは、おかしなことなのです。問題のある者を、あえて、恵みのうちに選んでいただいた者たちの集まりが、神の教会なのです。
 私たちが、何か特別なプロジェクトを始めようとするのであるならば、できるだけ有能な人を集めてプロジェクトを始めようと考えるのではないでしょうか。色々な資格や知識や技能を持った人たちを集めて、プロジェクトを進める。それが、一般的に人間の考えることだと思います。しかし、神様のお考えは、そうではありません。神様は、この世の愚かな者を選ばれ、神の教会の一員として、教会を建てあげよう、神の働きをなさろうとしておられるのです。どうして愚かな者たちに、そんな働きができるのでしょうか。それは、神様が素晴らしいからです。しかも素晴らしいというだけではなくて、神様が、教会を建てて下さるからです。
 さて、パウロは、4節から9節まで、驚くことに、パウロは、感謝のことばを述べています。様々な問題を抱えているコリント教会のクリスチャンに対して、叱責、忠告、苦言なら分かりますが、そうではありません。パウロは、まず、初めに、感謝の言葉を述べているのです。
 どのような感謝の言葉を述べているのでしょうか。ここに6つの感謝の言葉が述べられています。@コリント教会に与えられた神の恵みに対する感謝(4節)Aことばと知識、すべてのことにおいて豊かな者とされたことに対する感謝(5節)Bキリストについての証が彼らの間で確かになったことに対する感謝(6節)Cキリストの再臨を待望する信仰が与えられていることに対する感謝(7節)、Dキリストによる信仰保持に対する感謝(8節)Eキリストとの交わりに入れられたことに対する感謝(9節)
 つまり、これらの感謝とは、彼ら自身が素晴らしいという観点からの感謝ではなくて、彼らが、神様からの恵みに与ったことに対する感謝であります。
 コリント教会のクリスチャンは、色々な問題を抱えていました。教会も問題を抱えていました。しかし、そのような人間的には、厳しいと思える状況の中にあっても、彼らは、神の恵みを受けることができたのです。
 それが、パウロにとって大きな感謝だったのです。パウロは、どのような働きのために召されたのでしょうか。キリスト・イエスの使徒として、異邦人に福音を宣べ伝えるために召されたのです。ですから、パウロにとっての喜びは、一人でも多くの人が、神の恵みに与ること、救われることでした。
 考えて見ると、問題があるかないかより大切なことがあると思います。それは、その人が神の恵みに与っているかどうかです。パウロは、福音を伝える者として、召された者として、コリント教会のクリスチャンたちが、ただ、滅びに至る者ではなく、神の恵みに与る者とされたという感謝を喜びを持って述べているのです。
 白山めぐみキリスト教会に連なる私たちも、同じ恵みに与らせていただいた者です。そして、他でもない、神の教会の一員とされた一人ひとりです。こんな私たちを選んで、聖徒とし、神の教会の一員にしていただいたことに感謝と喜び、賛美をささげたいと思います。欠けもあり痛みを抱えていますが、神様が責任をもって教会を建てあげて下さいますから、主が与えて下さった恵みに感謝して、それぞれが、自分に出来ることを主の前にさせていただきたいと願います。
                    (2012年7月8日 礼拝説教要旨)