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「人生の三つの生き方」  ルカ16章1〜11節
「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」 ヨハネの福音書6章27節


元旦の朝日に照らされて光輝くミカン 神様の恵みを感じます 
 本日は、イエスさまが語られたたとえ話から、「人生の三つの生き方」という説教題で、お話ししたいと思います。
 ある金持ちに一人の管理人がいました。ところがその管理人は、主人の財産を乱費していたのです。そのことがある者の訴えによって明らかになり、主人に呼ばれまして、主人はもう管理させておくわけにはいかないということで、管理人に会計報告を出すように命じたのです。
 それに対して、管理人は正直に会計報告を出したかというと、そうはしなかったのです。彼は、主人の債務者たち、一人一人を呼んで、債務の額を減額してあげたというのです。管理人という立場にあるうちにできるだけ債務者たちに貸しを作っておこうと考えたのです。
 そのことを知った主人は、その管理人に何と言ったでしょうか。主人は怒るのではなくて、何と抜目なくやった管理人を褒めたと言うのです。
 イエス様はこのたとえ話を通して、弟子たちに何を教えようとされたのでしょうか。自分の立場を悪用して、この管理人のように抜目なくやりなさいと教えているのでしょうか。
 そうではありません。この管理人のしたことは、悪いことであり、決して許されないことです。しかし、主人が褒めたように、抜目なくやった管理人の考え方、生き方を通して、私たちは学ばなければならないことがあるのです。
 それは将来に備えて、今なすべきことを精一杯するという生き方です。管理人のしたことは悪いことです。しかし、彼は、将来自分はどうなるかということを良く考えて、それに備えて、今できる最善をしたのです。
 実は、このたとえ話は、ルカ15章の放蕩息子のたとえ話に続くものでありまして、二つのたとえ話をつなぎ合わせてみますと、ここに三つの人生哲学を見ることができます。
 その一つは、放蕩息子の人生哲学です。ルカの福音書15章13節に「・・・そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。」とあるように、一時の満足のために、財産を使い果たしてしまう。将来のことを全く考えない生き方、今が楽しければいいじゃないかという生き方です。
 二つ目は、彼のお兄さんの生き方です。ルカの福音書15章29節にありますように、兄は一生懸命働く人でした。お父さんの言うことにも従いました。しかし、彼は真面目には生きていましたが、喜びのない人生を送っていました。
 ところが、管理人にもう一つの人生哲学を見い出すことができるのです。彼の生き方とは、将来のことを考えて、現在を精一杯生きているのです。
 私たちは、如何でしょうか。放蕩息子でしょうか。その兄でしょうか。それとも、この管理人のように将来に備えて今を大切に生きる人でしょうか。私たちも将来に備えて、今を精一杯に生きていきたいと思います。
 それでは、将来に備える生き方とはどのような生き方でしょうか。マタイの福音書6章34節に皆さんもよくご存知の聖書の言葉があります。「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」
 この御言葉は、その日その日を一生懸命に生きることができれば、明日の心配はなくなる。将来のための最善の備えは、その日その日を、一生懸命生きることなのだということを教えているのです。 心配。皆さんには心配事があるでしょうか。以前読んだ書物には、心配事というのは、そのほとんどは心配しなくて良いことであるとありました。なぜ、人は心配するのでしょうか。それは、今日できることをしないで、明日に先伸ばしするからであるとありました。
 自分に出来ることをしてしまえば、心配はなくなるのです。自分に出来ることをしてしまえば、あとに残ることは、自分ではどうにもならないことです。すなわちそういったことは、心配してもしょうがないことなのです。そして幸いなことは、クリスチャンにとっては、その部分は、神様にお委ねすることができるのです。神様にお委ねする部分と言うのは、言葉を変えて言えば、神様が心配してくださる部分なのです。このように考えて、毎日を精一杯生きることができるならば、聖書が教えているように、心配は無用となるのでしょう。
 さてイエス様は、将来に備えて、具体的に何をすべきだと教えているのでしょうか。「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。」それが、イエス様の教えているところです。「不正の富」とは何でしょうか。「不正の富」とは、この世で私たちが所有しているものです。
 管理人が主人から委ねられているお金を用いたように、私たちも神様から委ねられている地上の富み、所有物を用いて、「友をつくりなさい。」と言われます。「友をつくりなさい。」とは、キリストの弟子をつくりなさいということです。
 皆さんは、この地上の生涯をどのような意識で生きておられるでしょか。来世への準備として生きているでしょうか。そして、そのために、十分な準備をしているでしょうか。
 もし、わたしたちに残されたいのちが、後3ヶ月だと医師に宣告されたら、私たちは、どのように残された時を過ごすでしょうか。恐らく多くの人が今までの自分の生き方を改めて、優先順位を再配列するのではないでしょうか。
 イエス様が語られたたとえ話を通して、人生の三つの生き方についてお話しました。私たちは、如何でしょうか。放蕩息子でしょうか。その兄でしょうか。それとも、この管理人のように将来に備えて今を大切に生きる人でしょうか。
 新たな年を迎えました。私たちも、本当に大切なことのために、生きたいと思います。キリストの福音のために、なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働く者とさせていただきたい。そのように願わされます。  

(1月1日 元旦礼拝説教要旨)