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「思い煩いを主にゆだねなさい」 Tペテロ5:6〜11
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」  ペテロの手紙第一5章7節


さくら  
 この手紙は、ペテロによって書かれた手紙です。宛先は、小アジヤの各地に散らされている、寄留しているクリスチャンたちです。
 彼らは、何らかの理由でこれまで住んでいた所に住むことが許されず、散らされ寄留していました。したがって、生活をする上で様々な不便を感じていたことでしょう。また、この手紙を読みますと、よそ者ということで、嫌がらせ、迫害を受けていたようです。
 そのような、クリスチャンたちが、与えられた信仰を守り通すことができるように、また、クリスチャンとして輝いて生きることができるように、神様から与えられた使命を十分に果たすことができるように、ペテロはこの手紙を書きました。
 ペテロが語った第一のことは、6節をご覧ください。「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。」とあります。「へりくだるように」「謙遜になるように」ということです。彼は、どうしてこのようなことを語ったのでしょうか。その理由について、ペテロは、次のように述べています。
 まず、5節後半には、「みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えるからです。」とあります。また、6節では、「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」とあります。
 つまり、ペテロが伝えたいことは、神様は、すべてをご存知ですよ。あなたが、言われもないことで、悪口を言われたり、非難されていることを知っていますよ。そして、神様は、決して、そのような状況を見過ごしになさることはありませんよ。私たちの信じている方は、高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられる方、また、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださる方なのです。
 さて、ペテロが語った第二の励ましの言葉は、7節をご覧ください。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」とあります。この節の後半にありますように、ペテロは、「神があなたがたのことを心配してくださる」ということを、励ましの言葉として送っています。思い煩いの中にある時にも、神様が、私たちのことを心配してくださるのです。
思い煩いの中にあるとき、心をかけて、心配してくれる人がいるということは、嬉しいことです。神様も、思い煩いの中にある私たちを心配してくださる方です。
 人は、どうして思い煩うのでしょうか。創世記に登場するヨセフは、思い煩っていたでしょうか。ヨセフからは、思い煩っている姿を思い浮かべることができません。彼以上に、たいへんな人生を送った人はいないのではないかと思われますが、どうしてでしょうか。
 思い煩らいとは、どのような心から生まれてくるのでしょうか。それは、「自分がすべてをすべきであり、また、なしうることができる。」という考えで生きる時ではないでしょうか。そのように考えて生きていますと、自分の考え通りに事が進まないと、思い煩うことになるのです。
 ヨセフは、自分がすべてをすべきであり、また、なしうることができるという考えで、生きていたでしょうか。そのようには、考えていませんでした。  兄弟たちにエジプトに売られた時、侍従長ポティファルの家で、嫌疑をかけられた時、せっかく夢を解き明かしたのに、忘れられてしまった時、彼は、主にお委ねしたのです。力強い主の御手の下にへりくだり、お委ねしたのです。
 私たちが思い煩っている時というのは、力強い主の御手を認めていない時、自分がすべてをすべきであり、また、なしうることができるという考えで生きようとしている時、高ぶっている時ではないでしょうか。ですから、ペテロは、非難を受けて、思い煩いの中にあるクリスチャンに対して、主の前にへりくだるように、謙遜になるようにと勧めているのです。
 さて、ペテロが語る第三の励ましの言葉は、8節、9節「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」とあります。このところでは、単に、励ましの言葉というよりも、与えられた信仰を守るために、気をつけなければならないことについて語っています。
 身を慎んでいなさい。目をさましていなさい。悪魔の働きに十分に注意するようにとの警告です。悪魔とは、神様に敵対するものです。つまり、主のご計画の成就することを妨げようとします。そういう働きに警戒するようにと、ペテロは勧めています。
 寄留するクリスチャンたちは、悪口を言われたり、悪人呼ばわりされて、元気をなくしていました。元気をなくすと、主のために奉仕する気持ちがなえてしまうことがあります。つまり、これは、神の国の建設を阻止しようとする働きなのです。ペテロは、元気をなくしている寄留する民に対して、悪魔の誘惑に警戒するように、堅く立って、この悪魔に立ち向かうようにと勧めています。
 そして、最後には、10節に、もう一つの励ましの言葉があります。「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れて下さった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」とあります。人から悪口を言われたり、悪人呼ばわりされたりすることは、私たちにとって苦しみです。しかし、その苦しみの積極的な意味が、このところで、述べられています。「しばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」とあります。苦しみを通して、私たちの信仰が、完全なものになり、堅くなり、強くなり、不動の者となるというのです。 ヨセフは、正に、そのことを教えてくれる生きた証人と言えると思います。彼は、苦しみを通して、彼の信仰は、完全なもの、堅くなり、強くなり、不動の者とされたのです。思い煩いの 中にある方がいるでしょうか。そのような方は、ぜひ、今日、語られたペテロの 励ましの言 葉を、しっかりと心に受け留めていきたいと思います。
   

(2月24日 主日礼拝説教)